- tomotomo1965
あなたが戦闘に参加していなくても
その人が他を脅かす存在にならない限り、
個人への干渉はすべきではない…
個人一人ひとりがありのままでなければいけないし、
ありのままの自分でいるために、
十分なスペースを与えるべきだ。
それを、ファシスト・マインドは許せないのだ。
『反逆の軌跡』(ヴァサント・ジョシ著 宮川義弘訳 市民出版社)より
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いつもとは趣が少し違いますが、
上記はOSHOの伝記からのOSHOの言葉の引用です。
世界では今また戦争が容認されていて、
人類は後退の歴史をたどるのかあやうい綱渡りをしています。
だた昔と異なっているのは、
そうした「綱渡り」がそれと分かるように報道されるようになった
ということではないでしょうか?
ファシストはその人自身が突然変異のように
「ああ、自分は間違っていた」と気づくしかないのでしょうか。
ただ待っているだけの私たちで本当にいいのでしょうか。
瞑想の立場としては、
ただ世界の事件を自らの内側の戦争と同じように
「形をかえつつ、時に朝日に燃えながら、
時に暗く闇に溶けゆきながら、流れゆく雲を見守る」のみ。
あなたが戦闘に参加していても、していなくても…