- tomotomo1965
どこにいたって
弟子はマスターがどこにいるかなどということを気にしない。
寺院であれ、モスクであれ、教会であれ、
炎は手に入れることができる。
弟子は、そのことについては心配していない。
彼は、自分がどこで炎を見ていようと、
その炎の中で死ぬ用意がある。
炎の中に消え去る用意がある。
そして、まさにその消滅の中に知恵は起こる。
エゴの死とは、あなたの中で知恵が蘇ることだ。
あなたは、再び子供だ、無垢だ、驚嘆している。
畏れに満ちている。
そして、その時は、存在全体が神秘だ。
OSHO 『ユニオ・ミスティカ』(市民出版社)より
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🌙🌙~🌞🌞~🌙🌙 消え去るとき、それは全てとなり、
全てとなるとき、すでに消え去っている。
寺院の中であろうと、オンラインのスペースであろうと。
私たちのチャレンジは今、オンラインという名の寺院の中で
まぎれもなく起こっています。