- tomotomo1965
仮想現実の眼鏡を外したら
映画を見ていて、こんな経験をしたことがあるだろう。
三時間経って、突然映画が終わり、あなたは我にかえる。
三時間が経過したことを思い出す。
それがただの映画だったことを思い出す。
そして自分の涙を感じる…あなたはすすり泣いていた。
その映画が悲劇に思えたからだ。
あるいは、あなたは笑っていた。
あるいは別のことをやっていた。
そして今、自分自身を笑う。
なんて馬鹿なことをしていたんだろう!
それはただの映画、ただのお話だった。
スクリーンの上にはなにもなかった――
ただの光と影の芝居、ただの電気芝居だった。
(中略)この三時間、あなたはいったいどこにいたのか。
あなたは中心にはいなかった。
OSHO『内なる宇宙の発見』(市民出版社)より
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無意識な日常は、よく「映画を見ているようなものだ」と言います。
本当の自分の中心にいるのではなく、
今で言えばVR(ヴァーチャル・リアリティ)のような
装置を目につけて仮想現実を生きているようなものです。
映画を見ていなくても、VRの装置をつけていなくても、
我々の無意識な日常は「仮の現実」の中でさ迷い続けています。
「これが本当のライフだよ」というものに出会えたら、
瞑想がそれを見つける目を育ててくれるとしたら
なんと素晴らしいことではないでしょうか。